ユキオ・スピリチュアルラボ ブログ

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守護霊は怖いの?

yukiospirit
2015-04-01 06:30:34
投稿訂正
スピリチュアリズム

お一人お一人についていらっしゃる霊がいると聞くと、慣れない方は
恐がるかもしれません。

お一人お一人には複数の方々(守護霊団)がついて、様々な
役割を果たしています。(当方では、守護霊団のメンバーを守護霊
と呼んでいます)才能を司る方、出会いや境遇を司る方など、様々
です。

守護霊は、私たち一人一人のすべてを知っていますが、人を裁
いたり、責めることはありません。脅かしたり、自由意志に介入するこ
ともありません。私たちが経験によって、それぞれのテーマにそって学
んでいくためのサポートをし、見守ってくださっています。

守護霊によって責められるのではないかと心配するには及びません。


行動の許可をもらうということ

yukiospirit
2015-02-02 20:29:17
投稿訂正
スピリチュアリズム

敬っている対象、それはある人にとっては神様・仏様かもしれません
し、またある人にとっては霊界かもしれませんが、ひとつひとつの人間
の行動について、その対象からその行動の許可をもらわなければならない
とみなすことがありますが、本当にそうなのでしょうか? 例えば、誰
かに質問をしたい時に、肉体をもった人間を越えた対象からその
質問をしてもよいかと聞かなければならないとの意見は、本当でしょ
うか? 

一見、対象からその行動の許可をもらうことは、その対象を敬ってい
るように見えます。日常生活を考えてみましょう。日常生活において、
(他者に損害を与える行動をのぞいて)行動をふだんは制約し、人
から求められた行動許可を与えることは、「俺の許可をえてからやれ
」とするジャイアン(アニメ・ドラえもんででてくる大将役)の越権行為
であり、そゆえモラルに反することです。なざなら、それは人の自由
を侵害することになるからです。例えば去年、ある国が一方的に防空
識別圏を設定し、通過する航空機に対して飛行ルートを提出するよう義務
付けると主張しました。これは典型的なジャイアンの行為です。

日常生活でさえ、人の自由を侵害することはモラルに反することなの
に、どうして敬っている対象がモラルに反することことをすると考えなけ
ればならないのでしょう。すなわち、ひとつひとつの人間の行動について、
その対象からその行動の許可をもらわなければならないとみなすこと自体
が、その対象がモラルに反することをするものだとみなすことになり
、結局敬ってはいず、逆にその対象を侮辱しているのではないで
しょうか。

スピリチュアリズムでは、神でさえ、人の自由意志に介入しないと言わ
れ、人の自由を大切にするモラルと首尾一貫しています。


師の性質とは

yukiospirit
2014-10-17 11:20:36
投稿訂正
スピリチュアリズム

先生と生徒との間には大きな力の差があります。だからこそ、先生
であり、生徒です。この大きな隔たりのために、時として異常な上下関係
が課されることが苦しみを生みだし、結局は進歩が遅れてしまうことも
あります。次のルドルフ・シュタイナーの原則は、よい先生探しの基準に
もなりましょう:

「自分の行為や発言が、どんな人の自由なる決意にも干渉しないよ
うに配慮」
「、、、真の師はまったくこの基本精神に貫かれている」


嫌なことからの気付き

yukiospirit
2014-01-16 22:00:38
投稿訂正
スピリチュアリズム

数時間のバスツアーでようやくたどり着いた出雲大社常陸でしたが、参拝
中不快なことがありました。他の人に邪魔にならないよう拝殿の
参拝する場所の一番端で参拝していました。自分の名を名乗り、感
謝とお願いを祈りしていましたが、後ろの方がイラついてきたよ
うすで、「長いな、、、ぶつぶつ」とつぶやきはじめました。真剣に
お祈りすればある程度の時間はかかるものです。せっかく時間をかけて出
雲大社常陸に到着したのに、不満をぶつけられ、途中で早めにお祈り
を終わらせました。こういう状況では、不快感は残るものです。団体
客が押し寄せている中で、形式的にてっとりばやくすませたい人がいるの
も無理はないので、団体客が参拝を終えた後に、参拝をすればこ
ういうことはなかったでしょう。

幸い、拝殿の後ろにあるご本殿の塀のすぐ外に参拝できる所で、
混んでいない場所があり、ゆっくりお参りできました。今度は満足感が
ありました。

帰宅してから、なぜ、このような不快なことが起きたのだろうと
、内省をしました。自分の後ろの方は、なにも自分の参拝が終わる
のを待たなくても、自分のすぐ横はあいているので、そこで参拝で
きたはずです。その硬直した固定観念、つまり「人がこうやったから
、自分はできないのだ」との思いが伝わってきました。なるほど、
この固定観念は、意外と自分にも無自覚にしのびよることがあり、これ
が柔軟な対応をさまたげることがあります。自分の中にも起きえる、
この固定観念に気をつけて、したいこと、すべきことを柔軟にして
いけばいいのだと、気がつかせていただきました。すると、まだ
少し残っていた不快感はすっとなくなりました。すべて起きることは、
スピリチュアリズムでいう気付きのメッセージであることを、改めて思い出しま
した。お正月、早々からの学びでした。ありがたいことです。


霊界の強力さ:偶然の視点

yukiospirit
2013-10-14 21:05:59
投稿訂正
スピリチュアリズム

霊界というと、何かつかみどころのないもの、頼りないもののように
思えます。しかし、シルバー・バーチははっきりと宣言します

「背後に控えてくださっている力は宇宙最強の力です。これに刃向か
える者はいません。これを打ち負かせる者はいません。その働きを
阻止できる者はいません」(シルバー・バーチの霊訓10,p162)


この力強さとは具体的にはどういうことなのでしょう?人間がその
力を洞察しうることの一つには、偶然のタイミングというものがありま
す。

例えば、ある人Aさんが、その人にとってはあまり出世も望めない職場
で、短期契約のもとで働いていました。その職場の上司は、Aさ
んにもう一期働いてもらう予定でしたが、たまたま忙しくて、契約期間
切れ近くになっても、Aさんにそのことを伝えていませんでした
。Aさんは契約がもうすぐ切れることに、大きな不安を抱いていました
。すると、ある別会社Bで人手不足が生じ、次の職が決まらない
Aさんの職歴から、B社にはふさわしいと判断して、Aさんに短期
契約のもと職のオファーを出します。しかし、会社Bの新たなな職場
は上下関係がきびしく、Aさんにはまったく合わず、苦痛だけになって
しまいます。そこで、会社Bの責任者は、短期間でAさんをやめさせ
てしまいます。Aさんは途方にくれそうでしたが、たまたま会社Cが
新部門をたち上げ、その部門に必要な能力をすべて満たしていたA
さんを発見し、Aさんは会社Cの幹部候補として雇われました。その
仕事はAさんが長年夢みていた、職種でもありました。非合理な
上下関係を許さない会社Cの社風もAさんにぴったりでした。

このように、Aさんは短期契約の労働者の身分から見事、幹部候補
の職を得たのですが、多くの偶然がそろっていなければ起こり得な
いことでした。もし、最初の職場の上司がAさんの次の期間の契約
を忘れずに伝えていたら、Aさんはその会社で働き続けていたで
しょう。もし、B社の社風がAさんにあってAさんが快く受けいれ
られていれば、AさんはB社の短期契約の更新をあてにし続けて
いたでしょう。もし、C社が新部門立ち上げを別の時期に行って
いたなら、、、。

このように、直接にはまったく関係のない事柄が偶然にもタイミングが
あって、Aさんにもっともふさわしいことが起きたのです。完全に用意
されていたとしか思えません。タイミングは、偶然なのですから、
人間にとっては、コントロールすることはできません。しかし、いくつか
の偶然をとおして、霊界は望むことを用意してくれるのです。このよ
うに個々の人間を越えた強い力を、偶然のタイミングの中に洞察する
ことができます。

人間には偶然のことでも、霊界では偶然ではないようです。「偶
然は存在しない」ということは、おそらくそういうことなのでしょう。
同じ事柄でも、認識される仕方、コントロールの可能性が、日常的な
物質面からと、霊的な視点とでは、なったく異なっているのです。


宇宙は心により出、宇宙のすべての中で働く知性、自然科学をも含む

yukiospirit
2013-09-26 20:09:31
投稿訂正
スピリチュアリズム

以前、ホワイト・イーグルが「物体はすべて幽体を持っている。」と
書いていたのを引用しました。同じことが、ヨガの達人の一人
であるヨガナンダによっても書かれています:

「どんな物体にも、その背後には、色のついた光で描かれた幽
体の青写真があります、、いわゆる”命のないもの”の中にも生命
は脈動しています」(「人間の永遠の探求」ヨガナンダ講話集p.2
56-)

ホワイト・イーグルもヨガナンダも一致した見解であれば、信憑性があ
ります。

さらに踏み込んで、ヨガナンダは物質の根源まで説明します:
「あなたがたは、神の製造工場、、へ行くことができれば、この世
のものがいかに神秘的な方法で物質化されているか見ることができ
ます。、、、全宇宙は神の心の中の一つの想念にすぎません。
」(同書)

つまり、物質は、神様の心の想念が変化したもの、おそらくは固まっ
たもの、と表現してよいかもれません。
幽体は心の一部ですから、物体がもともと心からきたものであれば
、物体が心の性質の一つである幽体をもっていてもおかしくはない
ことになります。さて、こう書けば単なる神秘主義のようですが、そ
うではなく、ヨガナンダによれば、この世のもの、そして全宇宙が、
神の知性によって制御されています

「宇宙に浮遊する無数の銀河系は、人間にも想像できないほど複雑で
緻密な数学的法則によて運行されているのです。すべてのものが
完全な秩序を保って動いています。なんと驚くべき知性でしょう。無限
なるお方が、すべてのものの中で働いてているのです」(同書)


以上からわかることは、スピリチュアリズムやヨガは決して反科学ではない
どころか、物質的側面の法則性を扱う自然科学を含んだ巨大なフレーム
ワークを提示するものであることです。


放蕩息子(ルカ福音書)をスピリチュアリズムから解釈

yukiospirit
2013-09-13 08:50:57
投稿訂正
スピリチュアリズム

ルカ福音書に「放蕩息子」のお話があります。

父から、二人の兄弟が財産を半分ずつもらいます。弟の方は、遠
い国に旅立ち、その財産を無駄使いして、困りはて、罪の意識をも
って父のもとに帰りました。雇人にしてもらおうとしましたが、
父は大喜びして、一番よい服を着させて、指輪を与え、生贄の
牛を捧げ、お祝いを始めました。

兄は言いました「私はずっとお父さんのもとで仕え、言いつけに背い
たことはありません。それなのに、子やぎひとつもくれなかったではありかせんか」


父は言いました「子よ、兄であるあなたはいつも私といっしょにい
る。私のものは全部あなたのものだ。だが、あの弟は死んでいた
のに生き返った。祝いはあたりまえではないか」

通常のキリスト教の解釈では、弟は悔い改めのため、神から受けいれら
れ、傲慢な兄はパリサイ派、ユダヤ人とみなされます。他方、キリスト
教から離れた解釈としてダスカロスのものがあります。ダスカロスによれ
ば、弟は人間を表し、兄は大天使(自然霊の一種)です。

人は、善悪、左右、など相対的なものからなる世界にはいります(
旅だった遠い国)。相対的な選択があるからこそ、自由意志が行使さ
れることができます。自由意志があるため、放蕩もその選択肢になりま
す。その経験をへて、人はある覚醒を得、父のもとに迎えられま
す。生贄を捧げられることは、人が最終的に物質との関係を断ち切る
ことを意味します。与えられた指輪は、輪であり、循環、過去・
現在・未来を人は認識することができる存在であることを示し、人は
、その時間の経過の中で、原因・結果の法則も学ぶことができます
。人は相対的な世界の中で、自由意志を行使しながら成長するコー
スを選んだ存在なのです。

それに対して兄は、大天使(自然霊の一種)であり、自由意志では
なく、神の意志のとおりにもくもくと働き続けます。自然界の形成、
生物の身体や様々なエネルギー循環などは、休みない彼らの働きによるも
のです。ダスカロスによれば、彼らは、過去・現在・未来を認識する
ことはなく、時間は「永遠の今」です。兄は物質の世界で肉体を
もったことがないため、生贄をささげる必要、つまり物質との関係を断
ち切る必要はありません。

人は、神の完全性が、相対性の中での時間的成長として現れた
ものであり、大天使は、神の完全性が無時間的な持続的な働きと
して現れたものと考えることができます。どちらも、父である神の完
全性の表現であり、だから兄弟であり、どちらも父の愛の対象であ
り表現です。

スピリチュアリズムの観点、むしろ密教的な観点といってもいいかもしれ
ませんが、伝統的キリスト教から離れた、「放蕩息子」のこの解釈は
、人間とは何かを大天使との対比で説明した点で、多様性と豊
かさをもっています。

参考文献:「キリストのたとえ話」ダスカロス、 根本訳.p.196
-


テスト

yukiospirit
2013-09-07 23:11:54
投稿訂正
スピリチュアリズム

スピリチュアルな進歩を遂げていく時の重要な試練として、へりくだりの
テストがあるといいます。

以下はホワイト・イーグル「光への道」からです:

「霊的な道を前身する魂は自分の進歩と力に得意になりやすいもの
です。初めは人類に奉仕したい純粋な願いをもって出発したわけで
すが。ある程度進歩しますと、こう感じはじめます。自分は立派な人間
なんだ、素敵な仕事をしていると。、、『そうだ、私はたくさ
んの犠牲を払っている』、、、この魂は思いがけぬテストに直面せ
ねばなりません、霊的な忠誠と真理、またへりくだりということについて
。」
「その魂は知っているのです、私は偉大でもない、ずば抜けた者で
もない。だって自分一人では癒せない、教えることも、慰めを与える
なんてできない。」(「光への道」桑原訳、p.98-99)

へりくだりは、得意になることや傲慢の反対ではありません。つまり
、自己卑下ではありません。すべてよいことは,自分を導いたり教え
てくださっている方々と共にあることで与えられることを、再確認しな
がら進むことです。


前世を記憶する子どもたち

yukiospirit
2013-08-22 23:15:49
投稿訂正
スピリチュアリズム

生まれ変わりを指し示すであろう研究の一つに、前世の記憶をもつ子供
の研究があります。その代表的な研究がイアン・スティーヴンソンの「前世
を記憶するこどもたち」に残されています。

それは細心の注意を払っておこなわれいて、「前世の記憶である」
ことの確認は多岐にわたります。
しかし、おおざっぱに表現すると、次のようにして確認されます:

ステップ1:子どもが「自分はこういう人間でこういう土地でこのように
暮らしていた」と、前世の記憶を話し、それが記録されます。
ステップ2:その記録された前世の暮らしぶりに相当するような人物
が、特定されます。たとえば、子どもによって話された内容が「バラピテ
ィア(地名)に住んで魚屋をいとなんでおり、緑色のジープを持って
いた」を含んでいて、それにあてはまる人物が一人しかいなかった
場合、その人物のついての情報であることがわかります。
ステップ3:子どもによって話された内容が、その子どもが新聞・ラジオ
等の情報伝達手段や人聞きによっては得られない情報であることが確認
されます。これは大変難しい作業です。スティーヴンソン氏が調査した
のは、発展途上国で情報伝達手段が限られていたことから、現代よ
りは確認しやすかったのでしょう。

インターネットが発達し、様々な情報が得やすい現代では、ステップ3
の確認は年々難しくなっていくものでしょうから、スティーヴンソン氏の調
査は、非常に貴重なものだと言わざるをえません。

そして、憑依現象ではないことを確認するために、前世記憶と実際に
確認された事故による怪我の位置と、子どものアザの位置の一致も
確認されたりもします。このようなアザに残ることは、憑依現象で
は起きないからです。

おおざっぱですが、以上のようにして、イアン・スティーヴンソン氏の研究に
より、「前世を記憶するこどもたち」の存在は、確認されたと言え
ます。


クリスチャンとは、、、

yukiospirit
2013-07-29 18:10:24
投稿訂正
スピリチュアリズム

キリスト教の歴史は長く、一概にこうだと言えるものではありません
が、少なくとも言えることは、神は理性だけではとらえられず、救い主
を信じる人がクリスチャンである、という部分は変わらないように思います
。つまり、理性との分離ということが、大きな流れであるようです。


スピリチュアリズムでは、理性こそが通るべき道であるとされます。ダ
スカロス「キリストのたとえ話」でこう説明しています:

イエスは「私は羊の囲いをたくさん持っている」と言っています。
そしてイエスのいう「私にはこの囲いに入っていない他の羊もいる
」の「囲いに入っていない」人々はキリスト教以外の宗教宗派や信念
体系に属している人々であり、イエスはそのような人々も等しく面倒
を見ていると、ダスカロスは主張します。つまり、キリスト教信仰の枠
にとらわれない存在として、イエスを理解しています。

ヨハネの福音書の表現を使って、「ロゴスはこの世界にやってくる人間
一人一人を照らす光である」。ダスカロスによれば、このロゴスと
は理性であり、そして自己覚醒した意識であると説明したあと、はっ
きりと次のように表現します:

「誰しもその内側に、この世界にやってくるすべての人間を照らし出す
光を持っているという意味で、人間は一人一人既にクリスチャンなの
だ」

分け隔てをつけない考えをここまではっきりと表現することは、キリスト
教では異端かもしれません。しかし、一人一人の内なる光を、
いかなる権威よりも優先することが、スピリチュアリズムの大きな特徴の一つ
と思われます。

権威主義に流されず、恐れず、ということは、いつもできることは困
難なことかもしれませんが、自戒も含めてあえて、ここに記しました



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